13才ぐらいの時ボーイスカウトに入団していて、深夜に浦和の調神社から吹上駅(現鴻巣市)まで徒歩で
旧中山道を歩いた。『中山道は京都まで続いているんだよな~』と考えながら歩いて、いつしか京都まで
歩いて行きたいと漠然と考えていたと思う。 また大学生時代に東京の水道橋(後楽園)でアルバイトを終えてから
友達と二人で旧中山道に拘って浦和まで歩いたことがあり、その時『これで東京の白山から吹上まで旧中山道が繋が
った!』と、ちょっとした達成感を感じていた。
『いつしか京都まで!!』という思いも絶えず心の隅ありながら、なかなか実行に移せず、30年以上を費やしてしまいました。
今年の2月に地元にある某ホームセンターで、折りたたみ自転車を1万円で購入し、今まで自動車・オートバイの移動で忘れかけていた感覚を、自転車がふと思い起こさせたのです。 『歩いて京都まで行くのは
時間的・経済的厳しいものはあるが、自転車なら町並みを感じながら中山道を旅して行けるのでは??』と
思い、出来る限り旧中山道に拘って旅を始めました。 (中山道は坂道が多いので、自転車より徒歩がラクで、色々なものを発見できて楽しいと感じてきました。 自転車で行っても、結局自転車を押して歩く始末です。)
京都まで行けるかどうかは分かりませんが、あまり自分に押し付けることなく気長に実行できればと
思っております。 本来なら日本橋~板橋・蕨宿から掲載するのが通常だと思いますが、私の住んでいる
浦和からスタートします。 (後日、日本橋から浦和宿まで歩いてきました。)
≪大宮宿まで5.0km≫
①【調神社】(つきじんじゃ) AM06:34
地元の人は、『つきのみや』と言っている。私も大人になって正式な名称を知ったぐらいだ。
子供の頃は、狛犬ではなく『うさぎ』だったいうことも気付かなかった。 また鳥居がないことも・・・
ちょっと離れた右側には、鳥居がありますけど??
子供の頃、毎年除夜の鐘を聞きながら父親の運転する車に乗り、家族全員で行った初詣が妙に懐かしい。
さて、平成22年9月19日(日)午前6時34分出発。 自転車のオドメーターは60.2kmを示している。
≪参考書籍≫旧中山道を旅するにあたって、右記掲載の書籍は、大変参考になりました。
「中山道69次を歩く」は現在の道路と比較されて説明があります。「誰でも歩ける中山道六十九次」は細かい目印等の記載があり、大変わかりやすいですし、旧中山道を旅する必読書と感じているよ。
②【浦和うなこちゃん】 浦和駅西口駅前にいるよ。
うなぎ蒲焼の発祥地のキャラだね。やなせたかし作
③【玉蔵院】平安時代に弘法大師により創建された由緒ある真言宗の寺院。
④浦和の街・東京方面をのぞむ。
⑤【レットボルテージ】AM06:38
レッズサポーターには、たまらないSHOPだよ!
⑥【浦和宿本陣跡】 仲町公園内にあるよ。
※抜粋
江戸時代後期の浦和宿には本陣1、脇本陣3、旅籠15があり、このあたり一帯が本陣跡になります。222坪の敷地内には母家や表門、高札場、問屋場などがありましたが、明治時代になってすべての建物が取り払われました。
なお、明治元年及び3年の明治天皇による大宮氷川神社行幸に際して、ここが行在所となりました。
さいたま市教育委員会
⑦【常盤公園】元浦和地方裁判所です。徳川家康・秀忠が鷹狩りで浦和に来たときの宿泊所だそうだ。
⑧【市場通り】中山道と常盤公園を結ぶ通りだよ。
モニュメントがあるから・・・。
⑨【浦和宿二・七市場跡】
※抜粋
浦和の市場は戦国時代に開設されたものと考えられ、天正18年(1590)には豊臣秀吉の家臣である浅野長吉から喧嘩口論などを禁じた「禁制」が「浦和市」に対して出されています。浦和市は月6回開かれる六斎市と呼ばれるもので、毎月二と七の日に開かれたため(二日・七日・十二日・十七日・二十二日・二十七日)、「ニ・七市場」といわれています。
さいたま市教育委員会
⑩【浦和橋】AM06:44
橋下は、京浜東北線・高崎線・宇都宮線。 この辺に一里塚があったそうです。
⑪【笹岡稲荷神社】 大きな榎は、一里塚が移植されか、その子孫が育ったものではないか?と言われている。
⑫【レディア像】 浦和レッズのキャラクターだよ。北浦和駅の交差点手前にあるよ。選手の手形・足形も・・・・。
⑬【廓信寺】浄土宗のお寺。
⑭【紅赤の発祥地】サツマイモの女王と言われた「紅赤」ができた場所だそうだ。 廓信寺の前に掲載されているよ。
⑮【与野駅前交差点】AM06:53
駅前の大樹があったのだが、倒木の恐れがあるということで最近伐採されました。
与野駅前のシンボルだったのだが残念ですね。