≪桶川宿まで3.7km≫
※写真⑦~は、2010年11月27日に徒歩にて取材撮影したものです。
⑦【不動尊】市境の看板の下にあったよ。
⑧【庚申塔】川越三里と彫られていたよ。
①【愛宕神社】AM07:44 その昔、現在の愛宕2丁目に本殿があったそうです。
⑨【氷川鍬神社】
上尾宿総鎮守として広く世人の崇拝を集めた古社であり、「お鍬さま」と呼ばれている。
上尾宿はすでに後北条時代に宿駅として成立していたようです。 宿駅として整備されたのは慶長七年(1603)伝馬制施行以降のことです。 上尾宿は、中山道の中では比較的小さな宿場でした。
江戸時代末の家数は182軒、人口は793人、旅籠屋は41軒でした。
文化三年(1806)完成「中山道分間延絵図」では、氷川鍬神社の正面に本陣があり、その両側に脇本陣が2軒あります。その近くに問屋場・もう1軒脇本陣があります。
③【上尾駅東口】AM07:48
④【上尾宿標識】AM07:49
⑪【偏照院】
本尊が興教大師作不動明王で、室町時代創建
⑪【飯盛女墓碑銘】お玉のお墓です。偏照院の隣の墓地にあるよ。 看板があるので探してね!
孝女お玉:越後に生まれたお玉は、幼少から親思いの篤い子であったが、家は貧困ため、1820年(文政3)11才で上尾宿の大村楼の遊女となった。
心優しく美しかったので客の評判も高かったが、わずか25才で病にかかり亡くなってしまった。
大村楼の主人が、日ごろのお玉の孝心に心打たれここに立派な墓を建てた。
⑪【偏照院の石碑】 ピラミット状石碑
⑫【庚申塔】
「上尾上町講中」と刻まれている。
⑬【酒蔵 文楽】
現代風だね。
⑤【鐘馗様】(しょうきさま)
⑤【平成の道標】AM07:54
【鐘馗様について】
鬼屋根瓦の家に対して鐘馗様を以て対峙する意味で置いていたものです。これは中山道の他の宿場町では見ることができない上尾特有のものでした。鐘馗様は厄病神を追い払う神といわれています。
⑭【紅花問屋の黒板塀】(右の写真)
武州紅花の仲買をしていた立場の須田家の黒板塀だよ。 家屋も良い感じの建物ですよ。