※ほとんどの写真は、2011年4月3日に徒歩にて取材撮影したものです。
①【神保原駅構内の七福神】
②【神保原の交差点】 セブンイレブン(左側)の交差点を右折して、17号国道を横断します。
③【17号国道を渡ります】
【厠ではありませんか】子供の頃、地方の家には母家とは別にトイレがあった。若い人は知らないだろうな?
⑥【法西寺】初め、金窪城と間違えていた。
【またまた厠です】
⑧【金窪城】「神流川の合戦」で落城した城。
金窪城跡は、神流川に臨む崖上に残る平城の跡。平安末期に武蔵七党の一党である丹党から出た加治家治の構築と伝えられ1330年代に新田義貞が修復して、家臣の畑時能に守らせたという。 室町中期には斎藤実盛の子孫といわれる斎藤盛光が居城した。1582年6月、滝川一益と北条氏邦の神流川の合戦において、一族ことごとく討死にし、城も兵火にかかって焼失し斎藤家は没落した。その後、徳川家康の関東入国にともない、川窪氏の所領となり陣屋がおかれたという。川窪氏は1698年丹波国(兵庫県)に転封となり、陣屋も廃止されたという。
⑨【陽雲寺と武田信玄夫人の墓】 金窪の領主となった川窪信俊は養母である武田信玄夫人を伴って入封し、信玄夫人は当時の境内に居住した。 没後、夫人の菩薩を弔うため、陽雲院をとって崇栄山陽雲寺と改称した。
⑩【愛宕神社碑と畑時能首塚旧跡】
南北朝の頃新田義貞に従って活躍した畑六郎左衛門時能は、秩父郡藤矢淵の出身であると伝えられている。
⑪【中山道案内】
⑯【神流川】
神流橋を渡ると群馬県です。
⑯【常夜灯】
⑯【神流川で釣り】
神流橋の上から・・。川のど真ん中で釣りをしている。