≪熊谷宿まで16.4km≫
※③~写真は、2010年12月4日に徒歩にて取材撮影したものです。
深井2丁目交差点を過ぎて、北本市から鴻巣市に入ってきました。
①【鴻巣の街並み】AM08:50
「人形」という文字が多くなってきます。さすが人形の町ですね。
【人形店】
③【雛屋歴史資料館】鴻巣市観光協会等パンフレットがあったが、閉館中??らしい。
④【鴻巣宿の町並】せんべい販売の「おおとり」
⑤【是よりこうのす宿】
⑥【勝願寺】
⑥【勝願寺】
鍵がかかっていて、入ることができなかった。
⑥【勝願寺】 徳川家康が文禄2年(1593)に鴻巣で鷹狩りを行った折に勝願寺を訪れ、2世住職 円誉不残上人に感銘を受け、様々な宝物を寄進したと言われています。
⑥【勝願寺】
⑥【勝願寺】仙石秀久(小諸城主)の墓・真田信重(真田幸村の甥)、信重の室の墓・真田小松姫の墓
⑦【鴻巣宿の町並み】「木村材木店」
②【本陣跡】AM09:24
⑨【鴻神社】 鴻巣の地名の由来は、鴻神社の「こうのとり伝説」から・・・。
明治6年にこの地、並び近くの3ヶ所の神社を合祀したもので、もとは鴻三社と称された。さらに明治35年~明治40年にかけ日枝神社を始めとして7社を合祀し鴻神社とあらためた。また、鴻神社は、こうのとり伝説から鴻巣の地名の由来がある地である。
⑨【こうのとり伝説】
その昔 この地に「木の神」といわれる大樹があって、人々は供え物をして木の神の難を避けていました。 ある時、こうのとりがやって来てこの樹の枝に巣を作りました。 すると大蛇が現れてその卵を飲み込もうとしたのでこうのとりは大蛇と戦い、これを退散させました。 それ以降、木の神が人々を害することがなくなってので、人々はこの木のそばに社を造り、この社を「鴻の宮」と呼び、この地を鴻巣というようになりました。