※ほとんどの写真は、2011年4月3日に徒歩にて取材撮影したものです。
①【柳瀬橋】を渡り終わったら、土手の上を右折するよ。
元々烏(からす)川は柳瀬川と呼んでいたらしく、橋に昔の名を残している。 対岸の町は「岩鼻町」と呼ばれていた。
②【土手の上を下流方向へ進みます】
③【橋桁の跡を発見】やはり、この辺が「渡し」の位置と思われる。
④【土手を下ります】破線の丸は「旧中山道」の標識です。やはり間違っていなかった!
⑤【岩鼻町交差点】
⑥【歩道橋を過ぎると左に入る道へ進みます】
⑦【すぐに元の道に戻ります】17号国道を渡る。
⑧【左の道が旧道】
⑨【元の道に戻ります】すぐに閻魔堂が見えてくるよ。
⑩【閻魔(えんま)堂】中山道と日光例弊使街道の分岐点にあり、お堂の真中には閻魔大王が鎮座してる。
⑩【閻魔堂の脇の石碑群】
⑩【左:例幣使街道(日光方面)・常夜灯・中山道(右:江戸方面)】
江戸時代、日光東照宮には毎年4月に朝廷からの使いが派遣されていた。これを日光例幣使という。例幣使は、京都を出発し中山道を下り上野国倉賀野で玉村への道をとり、下野国楡木で壬生道、同国今市で日光道中に入った。例幣使道(街道)は、一般的に倉賀野から楡木までとされる。