≪和田宿まで7.9km≫
【長久保宿】
堅町と横町が直角に接するL型の宿。 交通の要衝で、旅籠屋の数は信州の中山道で2番目らしいよ。
⑤【松尾神社の鳥居】AM11:22
中山道原道では、ここの鳥居をくぐってくる。
⑥
AM11:25 家の方が「良かったら中を見てください」とわざわざ言ってくださいました。有難うございます。
⑥ 時間の余裕がなかったので、中は拝見しませんでした。 地元の方の親切さを感じた一場面でした。
⑥【大八車(だいはちぐるま)】 江戸時代から昭和初期にかけて荷物の輸送に使われていた人力荷車。
⑥【ひき臼】 穀物などをひいて、粉にする道具。
【中山道を歩いている人】
私と同じ趣旨で中仙道を歩いている人が結構いるんだなぁ~!と歩く(自転車で走る)たびに感じます。リュックを背負っていて資料を持ち、黙々と歩いている姿で同じニオイがするのだ! 昨日は追分宿で小学生・父親と思われる方、小田井宿で40歳代の男性、八幡宿で65歳ぐらいの男性2人組、望月宿から佐久平のホテルに戻るときに塩名田で私と同じ中山道の本をもっていた30歳代の男性。
今日は、ここ濱屋で、さいたま市の清水さんと出会いました。清水さん達は、今回下見で車にて長久保にきているとのこと。 話はしない人でも仲間を感じ励みになります。
【堅町の街並み】 横町に突き当ります。
【伝言】清水さんへ!和田峠越えは11月18日(木)に決定しました。バス停等の情報を後日アップします。
⑦【長久保宿歴史資料館 一福処 濱屋(はまや)】 AM11:28
明治時代初期に旅籠としてたてられましたが、中山道の交通量が減ったため開業には至りませんでした。
山間部の旅籠建築に多くみられる、一階部よりニ階部を突出させた「出梁造り」が特徴的な総二階建ての大きな建物です。
長年、住宅として使用されてきましたが、長久保宿を訪れる方の休み処として、また、宿場に関する歴史・民俗資料の展示公開の場として改修を行なうとともに、当時の面影を残す貴重な旅籠建築の歴史的建造物としても後世に伝えるものです。
≪長和町教育委員会のパインフレットより抜粋≫
⑦【一福処 濱屋(はまや)】
板の間、奥には「いろり」があるよ。
⑦【一福処 濱屋(はまや)】
ここにも大八車と臼・杵ですね。
【釜鳴屋(竹内家)】
釜鳴屋は、江戸時代初期の17世紀中頃より昭和初期まで酒造業を営む。
この住宅の建立年代は江戸時代前期といわれており、長野県内ではもっとも古い町屋であるといわれています。
この竹内家には、笠取峠の道路壁面にある峠絵図の版木が保存されているとのこと。
⑨【旧本陣(石合家)】AM11:45
江戸時代を通じて本陣と問屋を勤めていた。
⑨【高札場跡】AM11:45
⑩堅町と横町とのT字路のある道標
左ぜんこうじ、長久保宿、中山道
⑩【旅館濱田屋】 AM11:49
横町の街並みをのぞむ。
⑪【竹重家(辰野屋)】 AM11:51 横町にある大きな旅籠。
江戸時代末頃の構築と推定。
「竹重家(辰野屋)」前の路地を右折します。
⑫一つ目の角を左折します。
直進すると横町の通りに合流します。
【宿場のはずれ】AM11:53
⑬【長久保横町交差点】AM11:55
国道142号に合流します。
⑭【長久保交差点】AM11:56
国道152号が合流します。
⑮【一里塚跡】
国道から、ちょっとはずれます。
⑯【国道に合流】コンビニのデイリーストアの裏を通って国道に合流するよ。このコンビニでちょっと休憩(昼食)
⑰【大門橋交差点】PM12:20
とりあえず左折します。
右の写真の橋がすぐ見えますので橋を渡ります。
⑱【右折して橋を渡ります】PM12:22
⑲【二つ目の橋を渡ります】PM12:23
橋を渡ってすぐ左折すると国道142号にでます。
⑳【階段を上って国道に合流】