≪大湫宿まで13.7km≫
【JR中津川駅】AM 5:26 前日夜23:20新宿発の夜行バスで午前5時前に到着です。始発までちょっと休憩。
【JR恵那駅】AM 5:49 ちょうど10ケ月ぶりです。帰ってきました。という感じですね!
【中山道の案内】AM 5:52 駅からの道と中山道の交差点。広重美術館が近くにある。
【中山道に入ります】AM 5:52
下記は中野村庄屋の家で、屋号を本酒屋といいました。1861年、皇女和宮の降嫁するときに大湫宿の助郷村であった野井村が、和宮が通行することで岩村藩代官より強制的に賄役につかせられました。このことを不満に感じた野井村百姓代熊崎新三郎は、和宮の通行がおわったあと、中野村庄屋宅に滞在していた岩村藩代官吉田泰蔵に斬りつけました。 これは後に事件となりましたが、代官による強制的な賄役の負担が野井村の今後の慣例となることをおそれた野井村は、岩村藩相手に裁判に訴えました。最終的には野井村の勝訴となり代官は罷免され、野井村に金25両が下付されました。
【中野村庄屋の家(本酒屋)】AM 6:01
【永田川】AM 6:02 長島橋
【交差点を左折】AM 6:03 恵那駅からの道に合流
【上町観音堂】AM 6:13
【西行硯水公園】AM 6:16 歌人の西行は、この地で3年間暮したといわれる。
【西行硯水】AM 6:16 西行は、こんこんとわき出るこの泉の水を汲んで、墨をすったと伝えられている。
AM 6:22 これから御嵩宿まで、のどかな田園と丘陵が続きます。心洗われる風景ですね!
【十三峠】AM 6:27 これから十三峠のはじまりです。
【西行塚】AM 6:38
恵那市の市街地を一望できる小高い丘の上に築かれたこの塚は、歌聖西行法師の供養のために造られたといわれています。小さな塚の上には、高さ約1.4mの五輪塔がたっており、形式的には、室町時代末期のものと推定されています。
西行がこの地で入寂したという伝説は古くからあり、1614年に書写された当市大井町の長国寺に伝わる『長国寺縁起』に終焉の様子が細かく記されています。
西行塚は、大田南畝(蜀山人)の旅行記『壬戌紀行』(1802)や秋里籬島の『木曽路名所図会』(1805)など、江戸時代の出版物に登場し、古くから中山道の名所の一つとして有名で。今も大切に祀られています。
【西行塚から恵那山を望む】AM 6:40
【槇ケ根一里塚】AM 6:53
【直進】AM 7:04 右側に電波塔
【車道に合流】AM 7:05
【茶屋槇本屋跡】AM 7:06
【茶屋水戸屋跡】AM 7:08