≪上尾宿まで7.9km≫
※⑥~からの写真は、2010年11月27日に徒歩にて取材撮影したものです。
①【ケヤキ並木】AM06:56
⑥【火の玉不動尊】寛政十二年甲十二月(1801)建立
【お女郎地蔵尊】天保六年三月(1835)
【伝説と巷説】 ◎高台橋のお女郎地蔵
昔、大宮宿に柳屋という旅籠があり、この柳屋には、千鳥、都鳥という姉妹がいて旅人の相手をしていた。この姉妹は親に捨てられ、宿の人に拾われ育てられてきた。その養い親が長患いで先立ち、借金だけが残っていた。 この借金のため姉妹は、柳屋に身を沈めたのであった。
美しい姉妹は、街道筋の評判となり、男冥利には、一夜なりとも仮寝の床を共にしたいと思わぬものはなかった。 そんな数ある男の中で、宿場の材木屋の若旦那と姉の千鳥が恋仲になり、末は夫婦にと固い約束を交わしたが、当時、悪名高い大盗賊神道徳次郎が千鳥を見染め、何が何でも身請けするという話になってしまった。 柳屋の主人は、材木屋の若旦那のことを知っていたので、返事を一日延ばし、二日延ばしにしていたが、業を煮やした悪党徳次郎は、宿に火をつけると凄んできた。 千鳥はこれを知って、主家には迷惑を掛けられず、さりとて徳次郎の言いなりにもなれず、思い余って高台橋から身を投じてしまった。 その頃から高台橋辺りに千鳥の人魂が飛ぶようになり、哀れに思った近くの人々がその霊魂を慰めるために、お女郎地蔵を建てたのだと言われている。
◎火の玉不動
その頃、高台橋付近をふあふあと飛ぶ火の玉を人々は見たが、それは神道徳次郎に見染められ、進退極まって高台橋から身投げし果てた遊女千鳥の霊魂だという噂もあれば、実は傍らにあった石の不動明王の仕業だという話もあった。 毎夜のように高台橋周辺に火の玉が飛ぶので、その正体見極めるために多くの力自慢や腕利きが出かけたものの、どうも気味が悪く近づけなかった。 ある夜、一人の男が小雨の降る中を松の陰に潜んでいると、深い谷あいから、例の火の玉がふありふありと尾を引いて流れるように飛んできた。 男がその火の玉に無茶苦茶に斬りつけると「キャー」と声がして消えてしまった。火の玉が消えた暗がりをじっと見すえると、物凄い形相の男が立っていた。 おそるおそる正体を尋ねると「俺は不動明王だ」と名乗り「お前に剣を斬り落とされた。」と言って消えてしまった。 翌日、この話を聞いて人たちが高台橋に行って見たら、なるほど石の不動様が怖い顔をしていたが、剣は持っていなかった。 そこで人々はこの不動様を「火の玉不動」と呼んだという。 因みに神道徳次郎は寛政元年(1789)この高台橋傍ら刑場の露と消えた、と伝えられている。
【さいたま新都心駅】
他にみられない斬新的な駅づくりですね!
②【新都心駅前】AM06:58
ショッピングセンター「COCOON」色々お店があるよ!
③【さいたま新都心のビル(左)・さいたまスーパーアリーナ(右)】
アリーナ内にある「ジョン・レノン・ミュージアム」も今月で終わりですね。1回しか行かなかったけど残念!
④【一ノ鳥居】AM07:02
斜め右の道が、氷川神社参道の一ノ鳥居。
⑦【安藤の碑】 吉敷町交差点にあるよ。
旧中山道を横断する悪水路にかかった橋の石碑。
⑧【加賀藩上屋敷の門】(橋本家門)
明治時代に移築
⑨【塩地蔵(左)・子育地蔵(右)】
塩地蔵尊、毎年8月24日には地蔵尊祭りを行います。
【塩地蔵尊】(上記)
妻に先立たれた二人の娘を連れた浪人が大宮宿で病にたおれ、日一日と重くなっていきます。 ある晩、枕元に地蔵様が現れ二人の娘に塩だちをし、近くの地蔵堂に祈ったところ父の病が全快しました。 そこで、たくさんの塩をこの地蔵様に奉納し、幸せに暮らしたとのことです。
⑩【涙橋碑】高台橋処刑場があって、親戚縁者が別れを惜しみ橋の上で涙したという石橋の一部。
【大宮駅東口周辺】
⑪【鷹場本陣の北沢稲荷】高島屋の屋上にあるよ。
⑤【大宮駅前交差点】AM07:07
⑬【本陣稲荷】
すずらん通りから奥まったところにあるよ。
⑫【本陣跡】今は「旅籠屋次郎」という居酒屋になっている。
駅前交差点から1本目の「すずらん通り」にある。
⑫【旅籠屋の由来 本陣跡】
居酒屋の前に表札のみある。
⑭【御影堂】(栗原堂)
⑮【土手町の椎の木】
樹齢はわからないけど、年代物の二本の木だよ。
⑯【氷川神社裏参道の石碑】
江戸時代の初期の古中山道が通っていた。
⑰【宇都宮線・東武野田線のガード】
ガードをくぐって直進が旧中山道。