≪鴻巣宿まで7.2km≫
※写真⑤~は、2010年11月27日に徒歩にて取材撮影したものです。
⑤【下の木戸跡石碑】
⑥【武村旅館】AM08:07 昔の旅籠が営業されている? 珍しいケースですね。
【中山道 旅籠(はたご)】
桶川宿には、大名や公家などの宿泊施設である本陣、脇本陣のほかに、中山道を往来する一般庶民の宿である旅籠が和多くあった。その数は、江戸時代末期の天保年間(1840年ころ)には、三十六軒を数えたという。
皇女和宮が中山道を下向した文久元年(1861)には、ここで紙屋半次郎が旅籠を営んでいた。右記図面に示す当時の間取りは現在もほぼ引き継がれている。
右記【武村旅館の間取り】 宿場町当時の旅籠の姿を今にとどめる貴重な建物だよ。
【桶川宿】
江戸から10里の距離に位置した桶川宿。
「中山道もの」といわれた良質の麦や、紅花の集散地として栄え、後には紅花は「桶川臙脂(おけがわえんじ)」の名で全国に知られるようになりました。
【まち案内】
ガイドボランティアさんに、まち案内してもらえるよ。
桶川市観光協会で予約してね。
電話 048-776-8590
E-mail
kankou@okekan.com
⑨【蔵造りの商家】矢部家
⑩【桶川宿本陣遺構】
本陣とは、江戸時代参勤交代の際、大名が使用するため宿場に設置された宿泊所です。 桶川宿本陣は、加賀百万石前田家の宿泊所とされたほか、水戸藩主徳川斉昭(十五代将軍徳川慶喜の父)も利用しました。 また、文久元年(1861)には江戸に向かう皇女和宮が宿泊したことでも知られています。
建坪207坪のうち、上段の間、次の間、湯殿が現在保存されています。 県内の中山道では、今に残る唯一の本陣遺構です。
⑪【中山道宿場館】お休み処・観光案内をしてくれるよ。
桶川市観光協会 048-776-8590
【往来手形】 宿場館でもらっちゃいました。
べに花の種と無事にカエルの折り紙です。
⑫【中山道のいずみ】
防災用手押井戸・かまどベンチ
⑬【桶川宿案内板】
⑭【上の木戸跡】
江戸幕府は治安を維持するために、各宿場の出入口に「木戸」を設けていました。 桶川宿の古絵図にもこの木戸が描かれており、文久元年(1861)に皇女和宮の通行を迎える前に木戸を立て直した記録も残されています。
現在、木戸があったことを示す石碑は、当地と大黒屋化粧品脇(下の木戸跡)に建てられていますが、当地の石碑は道路の拡幅等により以前よりもやや南に移されています。
「上の木戸跡」は、「下の木戸跡」とともに、江戸時代の桶川宿の規模を私たちに伝えてくれています。
【中山道と本宿】
今日の北本のもととなる街並みがつくられたのは、江戸時代の初期に元宿村が中山道の宿駅として整えられたのが始まりです。現在の本宿付近は、そのころ本鴻巣村と呼ばれていました。その宿駅も中山道が整備された頃には、現在の鴻巣の地に移されました。宿場のあったころは、その後、本宿(元宿)村と呼ばれ、これが北本の地名の起こりともなっています。街道沿いに旅籠や店はありませんでしたが、本宿村の下茶屋と東間村の三軒茶屋の二ヶ所には立場がおかれていました。人や馬はそこで喉の渇きや旅の疲れをいやし、次の宿場へと向かいました。
⑰【多聞寺】
⑰【多聞寺むろくじ】樹齢200年らしいよ。
⑱【天神社】
【馬室原の一里塚地図】ステーキドンの交差点を左折して、踏切を渡って線路沿いの道を右折します。
③【一里塚入口】AM08:33
入ったところにあるよ。
③【一里塚】AM08:35
ちょっと鬱蒼としていたけど・・・・。
⑲【浅間神社】(せんげんじんじゃ) 大宮台地の最高地点に建つ。境内も広いよ!
④【じゃんじゃん亭】AM08:46
北本市と鴻巣市との市境(深井ニ丁目)交差点を左折すると、高崎線の踏切が見えるので、その踏切を渡ったところにあるよ。
ここも友達のラーメン店で~す。お世辞ではなく、「こくだれ醤油ラーメン」が食べた~い。これがクセになるんだよなぁ!
今日も朝だから開店前? 10月リニューアルオープンと書いてあるが・・・・?
また、食べにきます。「こくだれ醤油ラーメン」を!!