①【賽の河原・和田峠の下諏訪側】 AM 10:08 古峠を境に、景色が一変するよ。 なだらかな上りの和田宿側に比べ、下諏訪宿側は大小の岩が目立ち、足場に注意を注がなくてはならない急斜面になっているよ。
【左は下諏訪・右は扉峠】 ポストに「下諏訪の中山道」のパンフレットが入っていました。
【下りは白い杭が目印】 杭には「歴史の道 中山道」と書いてあります。杭がないと道が解らない箇所あり。
AM10:26 右側は谷になっている。注意が必要だね。
AM10:32
②【水呑場】AM10:33
②【水呑場の地蔵】AM10:33
③【石小屋跡】 AM10:33
中山道の古峠は、標高1,600メートルの峠で難路でしられていた。 下諏訪側の峠近くは急坂で風雪の時は旅人も人馬も難渋した。 大雪の時には雪割り人足も出動した。 下原村の名主勝五郎は、安政2年(1855)に避難場所と荷物場を造ろうと、郡御奉行所に口上書を差し出し、馬士の出金、旅人等の援助を乞うて、五十両ほどで石小屋を築いた。
石小屋は、山腹を欠いて高さ約2メートルの石積みをし、この石積みを石垣壁として片屋根を掛けたもので、石垣からひさしの雨落ちまで2.3メートル 長さ55メートルという大きいものであった。 その後、慶応3年に修理したが、現在は石垣の、一部を残すのみである。 ≪平成9年5月 下諏訪町教育委員会≫
AM10:43
AM10:49 道が沢になっている。雨が降った様子がないのに・・・・。
④AM10:57 道路を横断するよ。
AM11:03
⑤AM11:06 向かいのガードレールの切れ目へ
⑤AM11:07
⑥【西餅屋茶屋跡】 AM11:17
西餅屋は江戸時代中山道下諏訪宿と和田宿の五里十八丁の峠路に設けられた「立場」(人馬が休息する所)であった。
ここは茶屋本陣の小口家と武居家、犬飼家、小松家の四軒があり、藩境にあったので、ときには穀留番所が置かれた。 幕末の砥沢口合戦のときは、高島藩の作戦で焼失されたが、すぐに再建された。 現在は道の「曲之手」(直角な曲り)と茶屋跡が残っている。
⑦AM11:21 ここを降りていくよ。
AM11:22 こんな感じの岩がゴロゴロしているよ。
⑧【一里塚碑】 AM11:26
⑨AM11:29 左側は谷になっているよ。 下に沢が見える!!
⑩AM 11:34 大きな岩が上の崖から転がり落ちている。
AM11:37 倒木もチラホラ。
⑪AM11:44
突然に周りの景色に違和感を感じる白いガードレールが見える
⑪AM11:46 これから国道を歩くよ。