PM12:08
昼間なのに、こんな気温。 朝の和田峠は何度だったのかなぁ~! 霧氷があった理由が・・・。
【水戸浪士の墓の看板】PM12:10
①PM12:10 左の道に下がります。
②PM12:12 工場の前を過ぎトンネルをくぐります。
③PM12:14 トンネルをくぐったら、浪人塚の広場がみえます。
また左のトンネルをくぐっていきます。
④【浪人塚の説明碑】
④【史跡 浪人塚】 PM12:16
ここは浪人塚といい、元治元年(1864)11月20日に、この一帯で水戸の浪士武田耕雲斎たち千余人と松本、諏訪の連合軍千余人が戦った古戦場でもある。
主要武器はきわめい初歩の大砲十門くらいづつと猟銃少しだけで、あとは弓、槍、刀が主要武器として使われた。 半日戦に浪士群に十余、松本勢に四、諏訪勢に六柱の戦死者があり、浪士たちは、戦没者をここに埋めていったが、高島藩は塚を造って祀った。 碑には、当時水戸に照会して得た六柱だけ刻まれている。 明治維新を前にして尊い人柱であった。 ≪下諏訪町教育委員会≫
⑤PM12:22 道沿いにすすむと、途中でペットの霊園を右手に見ながら進んでいくよ。
⑥PM12:30 国道と合流。
⑦【樋橋茶屋本陣跡と石仏】 PM12:34
江戸時代のはじめ中山道は五街道の一つに指定されて幹道になり宿駅の整備が行われその時、下諏訪・和田両宿間、五里十八丁 (約22km)の峠路に立場茶屋としてつくられた一つがこの樋橋で茶屋本陣小松嘉兵衛を中心に何軒かの茶屋が出来た。
本陣には御殿とよぶ小建築があって文久元年11月6日には和宮様のお休みがあった。 元治元年11月には和田嶺合戦の戦場になるなど交通の要地なるがゆえの事件はたくさんあった。
⑧PM12:36 ちょっとだけ右に迂回
⑨PM12:38 右の坂を下るのが中山道。
【上の国道を仰ぐ】ススキの中の旧中山道。
⑩PM12:44 畑・棚田(休田)やススキの中を進むよ。