≪浦和宿まで5.5km≫
①【蕨宿】PM02:11
国道17号から右に入れば蕨宿です。
②【蕨宿】PM02:13
歩道に各宿場町のタイルがはめ込んでありました。
③【蕨宿界隈史跡めぐり】PM02:15 国道17号から入って進行方向右側に蕨郵便局の前にあるよ。 観るところが沢山あるので、よく確認してから巡るといいよ。
④【歴史民俗資料館 分館】PM02:18 蕨郵便局の斜め前にあるよ。昭和初期?の民家?があるよ。
④【歴史民俗資料館 分館】AM10時~PM4時、入場無料、休日:月・祝日・年末年始
⑤【蕨宿】PM02:20
商店も景観を工夫・配慮して造られていますね。
⑥【蕨本陣跡】PM02:24
⑦【歴史民俗資料館】
本陣の隣に、歴史民俗資料館があるよ。入場料は無料だし、昔のことが分かって面白いよ。館内は撮影禁止なのでご紹介できないのが残念!
ようやく近くのラーメン店で昼食です。ホットしました。
浦和宿調神社まであともう少し、足の痛み(右の股関節が一番痛い)も少し休んだら楽になった。歩き方が悪いのかなぁ~?
⑧【和楽備神社】(わらびじんじゃ) 蕨市中央4-20-9
室町時代の創建ではないか?とのこと。蕨城の守護神として、八幡さんを祀ったのが起源らしい。
⑨【蕨城跡】南北朝時代に渋川氏が居を構え、江戸時代には家康が御殿を置きました。
⑩【成年式発祥の地】
昭和21年の青年祭に由来するとされているみたい。
⑪【中山道蕨宿まちづくり憲章】PM02:41
要約すると、蕨宿地区を歴史文化軸としてふさわしい環境とすべく活動を推進します。
⑫【三学院】
本堂の大きさにビックリ!!
いろいろ見どころも多いよ。
⑬【子育地蔵】【六地蔵石仏】【目疾地蔵】
⑭【鈴木薬局】PM02:43
⑭【鈴木薬局】 看板は、昭和初期のものであるらしい。
⑮【蕨宿】PM02:46
⑯【蕨宿】PM02:48
1.中山道と蕨宿
江戸時代、埼玉県内には五街道のうち、中山道と日光道中が通り、日光御成道や多くの脇街道が通っていました。
中山道は、江戸日本橋から近江国(滋賀県)守山宿までの67宿の街道で近江国草津宿で東海道と合流し、京都三条大橋に向かい、江戸と京都・大阪を結ぶ幹線道路として創設されました。
蕨宿は、この中山道にあり、江戸日本橋から数えると2つ目の宿場で、67宿場のうちでも5指に入る大宿場として栄え、埼玉県では最初の宿場でした。
2.蕨宿の成り立ちと形態
蕨宿の成立の時期には諸説がありますが、慶長17年(1612年)成立という説が有力と考えられています。 天保14年(1843年)の蕨宿は、総家数430軒、人口は2223人でした。 大名・公家などの身分の高い人々の宿泊施設である本陣が2軒、脇本陣が1軒、一般の旅人の宿泊のための旅籠が23軒ありました。
また、旅人と荷物を輸送する事務を行う問屋場と高札を掲げる高札場が一ヶ所ずつありました。 蕨宿は縮役人がおかれ、交代で問屋場に勤務して、乗り継ぎをする馬や人夫の用意、物資の輸送、周辺の村々からの人馬の動員などを行っていました。
3.蕨宿のまちなみと人々の暮らし
蕨宿は中心部のまちなみが南北10町(約1090m)で、宿の周囲を用水堀で囲み、外部の攻撃から守れるようにしてあるのが特徴でした。この堀は防火用水の役割も果たしていました。
蕨宿には青物、穀物、菓子、油、荒物、材木など様々なものを商う店があり、他にも豆腐屋、煙草屋、髪結いなど色々な職業の人々が暮らしていました。 毎年7月11日と12月26日には市がたち、賑わいをみせました。
【中山道ふれあい広場掲載物より】
⑰【中山道ふれあい広場】PM02:49
⑰【中山道ふれあい広場】PM02:50
⑱【国道17号線を横断】PM02:50
17号国道を横断して、浦和の六辻を目指します。
⑲【蕨宿】PM02:51